うち捨てられた都と幻想譚
アグラ2日目、午後からタクシーをチャーターして郊外にあるファテープシークリ-へ向かった。ずっと昔、大平原のど真ん中に建設された巨大な城だ。水不足の為結局14年でうち捨てられた姿のまま現代まで残る幻の都である。まるでおとぎ話の様だ。
車に揺られて郊外の一本道を2時間走る。静かな場所をイメージしていたが、到着した先は予想に反して喧噪の渦だった。道中、一人でも狭いと感じるのに、8人が乗り込んでいるオートリクシャーを追い越したり、天井まで人がぎっしり乗っているバスを見かけたりしていたのだが、皆ファテープシークリーへ向かっていたのだ。城の1.5km手前の駐車場で降ろされ、後はリクシャーで行けとドライバーに言われる。
言われた通り、オートリクシャーに乗り込み城へ向かう。その間中、助手席に乗り込んだ少年が自分は政府公認のガイドだから、ガイドをさせろとセールスしてくる。お前がガバメント公認のガイドだというのは理解した。でも俺はガイドブックを持ってるから、キミのガイドは要らないと説明する。すると、ガイドブックは喋らない。俺は喋ってガイドしてやるぞと畳みかけてくる。中々頭のキレる少年だと感じる。最後にはこちらの意志を尊重して、少年は諦めてくれた。そして、別れ際に「今日はムスリムの特別なお祭りだから中はエラいことになってるよ。財布には気をつけて!」とアドバイスを貰う。商売抜きのアドバイスだった。
お城まで残り数百メートルを歩いていると、次々と自称ガイド達が手を引っ張ってくる。ブッキングオフィスは何処だと聞くと、明らかに違う場所に連れて行かれそうになったりしながらようやく自力で城門へ到着する。そして、そこは今まで体験したことが無いくらいのカオス状態だった。
一番混雑する時間帯の満員電車の様に人が密集していて、全く前へ進めない。通り沿いには出店や屋台が軒を連ね得体の知れない楽しげな物を売っている。無秩序に人力観覧車が設置され、頭の上で子供達が嬌声を上げている。すれ違う人全てが興味深そうに私の顔をのぞき込んでくる。中には罵声を浴びせてくる若者達も少なくない。そして所かまわず設置されたトラックのタイヤほどある巨大拡声器からは破滅的なビートに乗せたコーランの朗読とアジ演説が爆音で垂れ流され、人々のアドレナリンをドバドバ分泌している。アッラーフアクバール!何もかもが過剰だった。外国人の姿は全く見当たらなかった。なんだかおかしくなってきた。おとぎ話の様な平原の巨大建造物の真ん中で、自分の置かれた状況に笑うしか他なかった。
一時間滞在した後で歩いて30分かけて駐車場へ戻った。途中でインド版の暴走族の様なものに出会う。もうクタクタだった。さっさとエアコンの効いた車に乗り込みたかった。しかし、車を探そうと広い駐車場を一周したが、自分が乗ってきた車を見つける事ができなかった。不覚にも車のナンバーを控えるのを忘れていた。おまけに車がランクルだった事以外、色さえも覚えていなかった。ちなみに駐車している車の半分は似たようなランクルである。まずい事に、ドライバーにお金は事前に支払っている。ヤバい。さらに一周するがやはりそれらしい車を見つけることができなかった。
駐車場の入り口で呆然と立ち尽くした。そうこうしている間にもインド人満載のバスやトラックがどんどんやってきて、目の前では渋滞が発生している。それら全ての車が、心臓が止まるくらいのでかい音でクラクションを鳴らし続けている。街まで2時間、どうやって帰ろうかと段取りを考えていると目眩がしてきた。強い日差しが容赦なく照りつけてくる。あてもなく、沿道を歩き出した。突然足下がぐにゃりとなり、視界が揺れた。足下を見ると牛の糞を踏んづけていた。チクショー。
その時、見知った顔が通りの向こうから走り寄ってきた。城へ向かうオートリクシャーに乗り込んできたガバメント公認ガイドの少年だ。彼はお城はどうだった?と聞きながら、別の駐車場へ案内してくれた。そこで、私の雇ったドライバーがのんびりと煙草をくゆらせていた。もちろんお金を要求する事はなく、少年ガイドは爽やかに手をふって、来た道を走って戻っていった。
車は来た道と同じ一本道を引き返していく。途中で、私の乗った車は手こぎの車いすに乗った老人を追い越した。大八車の様な荷台に胡座をかいて座り、ハンドルを回すと少しだけ前に進む車いすである。街まではまだ車でも1時間以上ある。彼の道のりを考えると気が遠くなった。でも、そういう現実を一向に気にしている様子はなかった。
道の両サイドには果てしないさとうきび畑の平原が広がっている。ずっと同じ風景である。時折、農作業をする色とりどりのサリーを身にまとった女性達が見えた。大平原のど真ん中で彼女たちは黙々とさとうきびを収穫していた。黄色や水色やピンク色のサリーが風に揺れて太陽の光を透過して光っていた。それはとても、とても美しい光景だった。
きっと電気も水道も来ていないであろう場所に、根を降ろして暮らしていくという事。インターネットどころか、テレビさえないかもしれない。私たち日本人が慣れきった娯楽の類なんて何もないだろう。ふと、そこで暮らす自分を想像した。サリーを着た美しいインド娘と結婚し、太陽が昇れば起き出して、井戸で水を汲み、子供をあやし、さとうきびを刈り、暑い日中は昼寝をする。夜は月明かりに照らされながら静かなセックスをして眠りに就く。そんな毎日はもちろん幻想だ。しかし、世界には幻想を否定できないだけの可能性がまだちゃんと残されている。